大学4年も押し詰まって、大学の就職掲示板を見ると新宿に商品の撮影などをする会社が目にとまり、卒業後は小さな広告代理店でカメラマンのアシスタントとして働いていました。
しかし、1ヶ月数万円の収入ではやっていけないと数ヶ月で、そこを辞め、再就職のため、写真の現像ラボや結婚式場の撮影部などを見て回り、その関連で、市ヶ谷の大日本印刷にレタッチ職の面接に行った時に、初めて製版用のスキャナーを見ました。「この機械はおもしろそうだな」と思いました。
しばらくして、アルバイトニュースのスキャナーオペレーターの求人広告を見て、街の製版屋さんみたいな会社に面接に行き、そこに就職しました。
というのも、最初にその会社に行った時、庭で作業服のままキャッチボールをして、まるで高校生のように昼休みを楽しんでいる社員を見て、すごくほのぼのとしたものを感じ、また、面接した人事の人も私に「是非入社して欲しい」とものすごく熱心で、「スキャナーオペレーターを条件にして」この会社で働くことを決心しました。
この決心が、私の人生の最大のターニングポイントでした。25歳でした。
私は当時、写真という個人競技の世界で心がギスギスしていたし、プライベイトでもいろいろ心労が重なっておりこの会社が、なんか別世界のように見えました。
実際、ここで働きはじめて、すぐに感じたんですが、集団で組織立ってする仕事は、自分のテリトリーがきめられており気持ち的に楽です。しかし、その安堵感とひきかえに芸術で自己顕示をするという情熱は消えてしまいました。
あれから、40年です。
数年働いたときに、会社紹介のパンフレットの企画と撮影に参加しました。表裏の表紙 レタッチ室もわざわざ撮影の為にライトテーブルを並びかえて、全員がこっちを向くようにしてもらいました。私の自分なりのセンス撮影できたと思います。ただ、最後の社屋の写真は、私の撮ったものが採用せれず、それ以前に使用されていたパンフのもので、ちょっと汚れた社屋になってしまったのが残念です。
2020.11.20