映画が好きだった青春時代

日大芸術学部のページで書きましたが、私はほんとは写真学科ではなく映画学科に入りたかったんです。
映画学科の授業や大講堂での映画鑑賞の授業によく参入していました。さながら、写真学科に入った映画学科の生徒でした。

授業が終わっての帰りも、途中の池袋駅で降り文芸座の上映作品が変わるたびに見に行きました。ですから、大学時代だけでも100作は見ていると思います。「人間の条件」をオールナイトで全編見たこともありました。ビデオが発明されてない時代ですので、レンタル屋もない時代でした。映画は映画館で見るものだったのです。

在学中に映画も撮りました。(実は在学前にも映画は友達とすでに撮っていましたが)そのころは、16ミリのベルハウエルアリフレックスというカメラがセミプロの主流でしたが、予算が無く私の自前のキャノンの8ミリフィルム用ムービーカメラで撮影しました。当時、撮影フィルムに音が撮影と同時に入る機種がありましたが、私のは新型ではなかったので、音は別にテープレコーダーを用意してカチンコで合わせました。

石井聰亙監督の「1/88000の孤独」という映画で、私は撮影だけでなく出演もしてます。(要するに何でもしないと、映画をつくれないんです、スタッフは全員で数人しかいませんでしたから)
受験生の狂気に満ちた孤独感」がテーマの映画ですが、思い出すのは、都電の中で赤ん坊を振り回すシーンで、今なら警察のお世話になっても良いぐらいのきわどい撮影方法でした。
石井聰亙は今もバリバリの現役です。
「写真学科に映画が好きな変なのがいる」と友達が私を石井くんに紹介してくれたんですが、初対面の印象は温厚な普通の人でした、しかし、いっしょに撮影をしていくうちに彼のハングリー精神にただならぬものを感じました。製作資金が底をついてきても、水で空腹をしのいで映画だけは撮り続ける!という彼の真剣さに皆引き寄せられました。すごい人物です。

今、目の前の現実の生活費をかせぐこと選んだしまった私が、残念!に思えてきます。
まー、映画をあきらめて得たものも大きいですから、後悔はしてません。
でも、男子一生の仕事として、自分のメッセージを映画に託して残す仕事は、男冥利に尽きると思います。
大きなビデオレンタル屋さんに行けば石井くんの映画をおいてますので是非一度どんな映画か見てみてください、けっこう有名俳優使ってます。



ここまで読んでくれたあなた。これもなにかの縁です、ひとつだけ紹介したい映画があります。小津安二郎の「麦秋」です。
「麦秋」は私が二十歳の時、「映画評論」の授業の一環で見た映画でした。
当時、京橋のフィルムセンターで小津の特集をしていて、そこではじめて見ました。フィルムセンターが火事になる前です。白黒の16ミリ映画です。音はあります、サイレント映画ではありません。1951年製作だったか?とにかく、私が生まれる前にできた映画です。
すこし、解説させてください。
 縁側(えんがわ)をカメラがゆっくり手前に移動していくシーンがあります。
世知辛い現代では考えられないくらい遅く長いシーンです。あのシーンの長さに耐えることは、おそらく禅の世界にもつながるのではないでしょうか。

 上野の国立博物館の池の前で老夫婦が石段に座って休んでいるシーンがあります。
なにげなく、空に遠くポツンと飛んでいる風船を見上げて
 老妻:「ちょいと あなた!」
 老夫:「おお・・・」
     空に小さく浮かぶ風船がゆっくりフレームアウトしていく
 老夫:「どっかで飛ばした子がきっと泣いているね、康一にもあったじゃないか、
                            そんなことが・・・」
 老妻:「ええ」
このシーンも見る方が映画のリズムに合わせないといけないシーンです。

 踏切が閉まっていき、若者なら速走で渡れる場面で、おもむろにその辺の石を探して腰掛けて電車の通過を待つシーンもそうです、もう踏切を渡ると言う行為は完全に観念化されています。踏切という場所は都心ではほとんどないですが実に哲学的なメタファーです。
この映画は見方を変えれば主人公は原節子ではなく老人役の菅井一郎さんとも言えます。

 奈良と鎌倉が結びついているところも私のお気に入りポイントかもしれません。
最後のシーンの奈良の耳成山や三輪山の麦畑のシーンのロケ地を私が奈良に住んでいる時に探しましたが、もうあの辺りは宅地化が進み探し出せませんでした。たぶん耳成の南側の近鉄との間だと思います。
とにかくあのゆっくりモードに二時間半耐えて時間を無駄にしたと思うか、なんか気持ちが楽になったと思うかどっちかです。若い人には耐えられないでしょう。
 小津はファミリードラマの元祖と言われていますが、なんかそんな切り口とも違う気がします。何度みても飽きのこない映画で未だに、私は、年に数回見ています。女房も歳をとってきたせいか、とうとう小津ファンになりました、私より詳しいぐらいです(笑)。
心が、ゆっくりして、落ち着く映画です。
他に「東京物語」もいいですね、私は尾道の浄土寺にも行きました。尾道もいいところです。
(話が長くなりそうなのでこのへんでおわりにします。「麦秋」はレンタル屋さんにありますからみなさん是非一度見てください、必ず一人でぽっかり時間が空いた時にパソコンなど同時にやらないで手を休めてテレビの白黒の画面を味わいながら見てください)。

      追記:     麦秋のポスター
我が埼玉県川口市のNHKの電波塔の跡地に建設された壮大な映像関連施設であるスキップシティで、2008年10月25日、小津映画の特集があることを知り、私も女房と「麦秋」を見てきました。映画の前半はシャドウ部が潰れていているところがあり映像がきれいではなかったですが、それなりに楽しめました。
 偶然にも、子役でこの映画に出ていた「勇」役の城澤勇夫さんが、この映画を見にいらしてまして、映画が始まる前に、スタッフの方に紹介されていました。城澤さんはもう60歳を超えていらっしゃるはずです。ちょっと感激でした。
 私の勝手な願望でしたが、せっかく、ここに本物の勇ちゃんがいらっしゃるなら、「勇の演技で笑える場面」で逐一画面を止めて城澤さんの解説が聞きたかったです 。今考えてみると、映画はビデオで見れるので、城澤さんのお話だけで2時間過ごしても良かったような気もしました。
 上映終了後、おそらく城澤さんのお話が伺えるものと期待していたのですが、それも無かったので残念至極でした。小津監督から、どういう演技指導があったのか?など一言
聞きたかったな〜。
リンク:城澤勇夫さんの写真がのってるサイトありました


小津の作品以外では、他に藤田敏八の「妹」も好きです。「妹」のほうはレンタル屋さんには、おいてないです、昔はありましたが、なくなりました、誰も見ないのでしょうね。
「妹」も「麦秋」も鎌倉が撮影地となっています。
「稲村ジェーン」や「あの夏、いちばん静かな海」も好きです。私には湘南にあこがれ(コンプレックスかもしれません、なんといってもダ埼玉育ちですからね)があるのは確かです。鎌倉で生まれたかったし、住みたかったです。湘南の海が青春に繋がる世代なのです(自伝写真集から:1982鎌倉
音楽とかの芸術と比べると、映画は泥臭いです。が、1本の映画でその後の自分の人生が変わるほどの感銘を与えることができる芸術は映画以外にはないでしょう。
私はもう映画で人生観を変えられるほど、若くないですし、人生観を変えてはいけない歳になっていますが、若い人には、ホラー映画などは見ないで、ちゃんとした映画を数多く見てもらいたいものだと思っています。

                               2003,10,11

2014.10.28 と 11.2の朝日新聞に小津映画の「麦秋」の子役の兄弟、村瀬禅さんと城澤勇夫さんの、63年前の回想記事が載っていました。pdfで添付します。