
Photo by 尾島 孝一
目の法則
2008.11.23に追加した メタメリズムの語源・意味 にジャンプ
可視光は電磁波の中で380ナノメータから780ナノメータの波長と言われていますが、なぜ、その範囲しか人間は見えないのでしょう?
答え:???
疑問を感じる私が変なのかもしれませんが…、
時々、この答えを見つけるべく本屋さんで関連の本を立ち読みするんですが、
「昔からその波長が一番地上に降り注いでいたので生物はそれを利用して外界の認識に使うようになった」
と言う説明がこれまでの立ち読みで一番納得できました。
ここで簡単な実験?です。
人間が、今も目がない生物のままだと思ってみて下さい。
目をつぶって、目の前のコップを手で触るとこれなんなだろうな〜もっと知りたいなーと思いますよね、なんかこのコップというものを知る手段はないかな〜と毎日毎日毎年毎年思い続けて臨終の時には「なんか手段はないか?調べといてくれ」と遺言を残して逝く、それが積もり積もって30億年、コップにふりそそぐ太陽光の反射が認識できればコップのことがもっとわかることに遺伝子レベルで気付きはじめます。
そして、そういう機能があるものがだんだん顔の真ん中にできはじめて、これは便利と明暗だけでなく波長ごとに分けて見えると、もっとコップの情報が増えるみたいだなー
ということで視細胞自体にも改良をくわえて色分けという手法を見いだしたのです。
ですから、いまを進化の途中と考えるなら、3億年後の目はさらに改良され、とんでもないものが見えているはずです。たぶん、目じゃない機能で外界を察知していると思います。
しかし、
どうもこれは科学の範疇のテーマではないらしいんです。
科学では答えられないので「380nm〜780nmの電磁波を色分けして区別できるように進化した生物を人間と言うのだ」という居直った説明も見受けます。
全波長が見えたら世の中どう見えるのでしょうか?見てはいけないものがみえるような気がしてちょっと怖いですね。
ミツバチは340nmまで見えるので花粉が出す短波長が見えるとか、トンボはRGBだけじゃなくRGB+Vという4色で見分けるということも専門書に書いてあります。さらに、アメリカ人の女性の5%にはRGB+Oという橙の錐体があるという調査結果もあります。人はほんとは一人一人微妙に違う色を見ているのは確かなようです。
分光光度計のように32バンドぐらい認識できたらメタメリ検定とかの色彩感覚を競う試験ができるのではないか?とか目の機能の限界を超えた世界は想像すると切りが無いです。
ところで下の図は標準分光視感効率の図です。つまり、太陽光の出す電磁波です。
太陽から受ける電磁波の中でも最も広い波長域を人間の目は活用するようにできています。これは、正に人間は太陽に合わせて見る機能が発達した証拠ともいえるでしょう。もしあなたが1000nmあたりの範囲しか見えない生物だったら、400nm〜800nmのワイドバンドが見える動物にあこがれを感じることでしょう。
人間にぃ生ぅまれてよょかった!!(織田裕二はいってます)
もう一つ疑問があります。
なぜ800nmや900nmの色をした物体に人はぶつかって怪我したりしないのか?目には見えなくても、そのものが人には見えないだけで物はあるという状態があってもよいはずです。
見えない物体にぶつかって怪我したというニュースは聞いたことが無いですね。しかし、それが原因の事故は、痛みを感じないのでわからないんだと思います。私のマンションのベランダの前には携帯電話用の中継用鉄塔がそびえています。その電波が当たって痛いと感じるのは私だけなんでしょうか?。
本論
RGB(3種の視細胞)でしか見れないことも
人類共通の尺度(ものさし)です
第1章 メタメリズムの語源・仕事での活用法
メタメリズムって言葉ごぞんじですか?
恥ずかしい話ですが、わたしは現役の製版業時代は知りませんでした、現場では全く必要ない言葉だったからです。
その概念は常日頃経験していましたが、この言葉を使って会話をする業種の人との接点が私には無かったのです。
それに、私はいきなりメタメリという言葉を聞いたので、これってどんな言葉の変形なのか?わからないまま、使っていました。なんか あいまいなわかりにくい言葉ですよね。
今回このページ作成を機にネットで調べたんですが、無いです。検索しても欲しい情報が得られません。
なので、自分で調べて自分の知識としてもまとめておきたいと思います。
メタメリズムは、リズムとつくので由来は音楽からきているように感じますが、全く関係ありません。リズムではないのです、イズムなんです。モダンイズム、ヘレニズム、ダーウィニズムなどと同じ使い方で〜主義・流儀・傾向がつく言葉の仲間です
メタメリ+イズム=メタメリイズム なんです。
メタメリズムの同義語はメタ メリック マッチなんですが、その反対語は アイソ メリック マッチです。
メタは「違う」と言う意味、アイソは「等しい」と言う意味です。メタ メリック マッチのほうが分かりやすと思うんですけど、メタメリズムのほうが「見た目リズム」とか日本語っぽいからこっちの方が頻繁に使われるようになったのではないでしょうか?
アイソ メリック マッチと言う言葉を縮めたアイソメリズムという言葉も調べるうちに見つかりましたが、メタメリのよにアイソメだけで使う表現は見つかりませんでした。
まとめると
メタメリズム 対 アイソメリズム
メタ メリック マッチ 対 アイソ メリック マッチ
メタメリ 対 (対語なし:アイソメとは言わない)
となります。
次にメタメリを日本語に訳した条件等色の説明に移ります
「条件等色」と「メタメリ」という言葉の使い方に関して
文献を見ると「ーーという現象が起こる。これを条件等色という」という表現が多いです。しかし、色が合ってないというクレームの時に、客先で原因を説明するのに「今回の原因は、条件等色です」または「メタメリです」という営業さんは、まずいないでしょう。
なんか、偉そうな表現だし、なんか言い切ってしまうのもお客さんの反感を買いそうです。
使い方に迷ったら、「条件等色」を「病気」と言う言葉に置き換えるとわかりやすいと思います。「条件等色」はひとつの現象を言い表す言葉で、良いも悪いも無いですが、私のサイトをご覧になっている人にとっては悪玉菌と考えて良いでしょう。バイキンマンなんです。
それを考慮すると印刷業の人の会話として「条件等色が出ちゃいまして申し訳ありません」「こんなにメタメリになっちゃいまして」と言いう表現も可能と思います。こういう場合の使い方の基本形は「条件等色が出る」「条件等色になる」「条件等色が生じている」という言い方です。
さらに「条件等色」の使い方として、私は「形容動詞」としての使い方も考えられると思います。形容動詞は「〜だ」で終わる言葉、たとえば「大変、元気、愉快」などがそうです。たとえば 「条件等色な色」「メタメリな色」です。これは、先ほどの「病気」という例でいうなら「病気な人」という表現です。形容動詞としての「条件等色と病気いう言葉の活用形」は以下の通りです。
未然形 たぶん条件等色(だろ)ウ 病気(だろ)ウ
連用形 すごく条件等色(だっ)タ 病気(だっ)タ
まったく条件等色(で)ナイ 病気(で)ナイ
すごく条件等色(に)ナル 病気(に)ナル
終止形 とても条件等色(だ) 病気(だ)
連体形 すごく条件等色(な)トキ 病気(な)トキ
仮定形 すごく条件等色(なら)バ 病気(なら)バ
「条件等色」も「病気」も基本的には名詞なので、変なのもありますが、口語なら使える範囲なのでは?
しかし、いずれにしても、印刷関連の営業さんなら「条件等色」という言葉一つで言い切るのでは無く、そのクレームの時の条件等色の具体的な原因を説明する方が重要だと思います。「病気」なら、どういう病気で治療法も伝えないと不親切というものでしょう。
例 照明が家庭用のFLだった場合など
「うち(会社)では太陽光に似た色評価用の蛍光灯で見ているんですが、これは業界の標準的作業になっています。照明が変わると、色が変わって見えてしまうんで業界として照明を統一することになっているんですよね。ちょっと、これで見て見てみて下さい(と おもむろにカバンの中から携帯標準光源を出す)。どうですか?同じ色に見えてますよね」
標準光源をカバンに入れて営業に回るのも一つの手(付加価値)かもしれません。(私は携帯できる標準光源の販売会社の回し者ではありませんが、たとえばGrafiLiteというのがあります)
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日本語では条件等色と完全等色という言葉が あてはめられているんですが、これについて一言。
条件等色なら無条件等色、完全等色なら不完全等色が対になるはずなのに、なんか全く違う言い方になってしまっているので、とてつもなくわかりずらいです。
漢文風に 条件有等色 と 条件無等色 の方がまだ分かりやすいですが、読み方に問題あります。
やはり、漢字だけではなく、「が」とか「の」とか「を」とかの助詞がないと意味がどうしてもわかり難い言葉なんだと思います。
個人的には英語だけにして、「強いて日本語で言うなら」とただし書きを付けて
「色が等しく見える為には見る環境に条件がある状態」
「色が等しく見える為には見る環境に条件がない状態」
でいいと思うんですが、どうでしょうか。
「条件等色」なんて へんな日本語はやめて、名前を公募したらどうでよう?しかし、遷都君の二の舞になるのもいやですね。
とにかく、私は、今までだれも文句言わないで、当たり前のように使っていること自体が不思議でなりません。タブーなんでしょうか?この話題は?
もしそうならまずいので、この話はここで止めて 次の話題に移ります。
第2章 「 では、条件制限とは何を意味するのか? 」
ーちょっと高校野球の話をしますー
色は脳でつくられているということは、みなさんご存知と思います。
物にも、物にあたっている光にも色はついていません。
「では?今見ているいろいろな色の変化は
何が変化してるのか?」
ー実は 変化しているのは色ではなく電磁波の波長なんです。
電磁波の周波数の違いをいろいろな色に分けて区別できる能力が長年の進化の結果 人間側に備わってしまったのです。それを担当する器官が目と脳なのです。
しかし、その器官は、大自然の中では必要充分な機能ですが、蛍光灯とか蛍光紙とか蛍光顔料などがこの世に出回ることを想定してない何万年も前にできた器官なので、今の文明の中では欠陥とも思える程、見え方に偏りがあることがここ100年ぐらいでわかってきました。
目は色をシビアに見分ける事よりも、認識のスピードを重視して進化してきたのです。
また、違う たとえで言えば、人類全員が色弱とも言えます。ほとんどの人が同様の色弱なので誰も変だと思わないだけなんです。
ですので、ほんとうの色を見る為には人為的に「見る環境」を限定しておかないと色が決められないのです。
最大の問題点は目の受光素子の感度特性にあります。RとGとBに分ける為の たった三つのセンサーを通った光の強弱を比較して演算してしまっている点です。
これは、野球で言えば、9回の裏1打勝ち越し、浦和学院3番上野君がカキーンと打ったので、天理高校のレフト高橋君は30歩右後方に必死で走り、センターの森田君もゆっくり10歩程左後方に走って、結局、取ったのレフトの高橋君で「レフトフライ、延長戦になりました」という場面。
テレビで、この様子を直接見ている人には、手に汗にぎるシーンですが、脳は外野の3人がどう動いたかがわかる機能がないんです。
あるともっと楽しいんですけど、そんな機能は生存してく機能としては、反応が遅れて邪魔です。「高橋君よくやったぞ」などと感激にしたっているうちに、自分がライオンに食べられてしまったのでは元も子もありません。
脳は高橋君と森田君と田中君の「玉を取るぞ!!」という情熱の差を受け取って、「これはレフトのセンター寄り、すなわち、橙色に違いない」ってな感じで色に変換しているのです。高橋くんがファウルフライをとっても、全力ならレフトフライ。レフトの高橋君の方に飛んだ玉なのに、ライトの田中君が「こっちにもきてるぞ?」と勘違いして走ったら、スペクトルには無い色を人は創り出すことまでしてしまうのです(純紫軌跡)。
これがメタメリが起こる原因なのです。赤いから700nmだろうと人は言いますが、目は分光光度計ではないのでほんとは「おそらく赤だろう」と言うべきなんです。「みんなが赤というもんだから」つい「赤」と言い切ってしまいますが、白黒でも色が見える錯覚もあるぐらいですので人の知覚は非常にゆらいだ はっきりしない集団催眠にでもかけられてる状態と思ったほうがいいかもしれません。
しかし、色彩の知識がある程度あれば、たぶんこの照明環境ではこんなふうにダマされているんじゃないかな?この紙だとこう見えるのでは?このインキではこうなるはずだとか、傾向と対策が判断できるようになります。その点でこういう勉強も印刷関連の仕事をしている人には大切だと思います。
野球の話に戻りますが、補欠部員も入れて30人の高校生を呼んで、レフト10人、センター10人、ライト10人とレフトからライトまで3メートルおきに並ばせて守備範囲を決めておけばセンターの右から三番目の後藤君がとれば「あの辺りだな」とより細かく色がわかります。これが分光光度計なんです。
人が多ければ多い程正確です、人海戦術です。安いのは30人ぐらい、高級なのは200人以上が分光光度計のなかに入っています。人の目の中にいる3人では太刀打ちできません。
(注1)純紫軌跡 参考資料:味覚と色覚の類似点
話は変わりますが、人間の5感、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち聴覚は比較的だまされにくいですが、嗅覚や味覚の世界では知覚と同様の現象が起こります。
特に味覚の世界では、味覚のスペクトルを「食譜」と言いますが、食べているものと味とが違う場合があるらしいです。「キュウリに蜂蜜=メロン」「プリンに醤油=ウニ」「ホットミルクに、たくわんを入れる=コーンスープ」などです。おもしろいですね。
顔色をうかがう:血の気がひいた:
肌色の色味の認識が重要になってきた話 ⇒ ヒト型3色覚系は霊長類が共同生活をし始めたのと同時に発達したという説があります。顔色で喜怒哀楽を感じ取る必要が出てきて遺伝子レベルで改良が加わっていったという説です。
すいません、この後はまた折りをみて書きます。
2008.2.24 初稿
2008.2.28 本論のさわり記述
2008.11.22 本論書き始める
2008.11.29 本論追加
2009.12.30 本論の文章追加
2009.01.15 本論の文章編集
2014.11.01 「味覚との類似点」「顔色」追加